こんにちは、anfieldroadです。
今更ですが、ちょっといいマイクを買ったので、オンライン授業の準備が楽しくなってきました。こうなると、高性能な音声編修ソフトが欲しくなってしまったり、「沼」の恐怖を感じております。
「人間性」は教科の評価対象ではない
今号からはいよいよ3つめの観点である〔主体的に学習に取り組む態度〕を取り上げます。私のこれまでの解説では〔思考・判断・表現〕が「一番えらい」と述べてきましたが、文部科学省の文書を見ているとかなり「主体性」推しなので、こっちのほうが大事と言っているようにも感じます。一番土台になるという意味では間違いなく一番大事だとは思いますが、目に見えにくいものですので一番評価が難しい観点だとも言えます。
元々、学習指導要領の中では「学びに向かう力,人間性」という文言で示されていて、これが指導要録等で用いる「評価の観点」になる際に、やっぱり「人間性」を成績に入れるのはどうなんだという議論から、〔主体的に学習に取り組む態度〕と〔感性,思いやりなど〕に分割され、前者のみを教科の成績に組み込むことになりました。
〔感性,思いやりなど〕は、言語を通して様々なコンテンツに触れ、考えを表明する機会がある英語科の授業の中で発揮できる資質ですし、もちろん授業を通して伸ばしたい部分でもありますが、成績には入れないということになります。
その意味では、英作文を書かせた際に「素敵な内容を書いたから英語の成績が上がる」とか「残念な考えを英語で書いたから成績が下がる」みたいなことは、原則ありません。なんか、教師としては思わず加点してあげたくなっちゃいますけど、道徳ではありませんので。でもよいことは授業の内外で褒めてあげたり生徒と共有することで、なんらかのフィードバックをしてあげることは問題ありません。というか、ぜひ伝えてあげたいですね。
これまで私はこうしてました
一方でネガティブな面として挙げられる「提出物の未提出」や「忘れ物」みたいなものも、減点の対象となってしまいがちですが、それはあくまで生活習慣であり、広い意味で「人間性」に関わる部分ですので、教師としてはもちろん指導をする対象にはなりますが、それが直接成績を下げる要素にはできない、ということに注意したいです。
これは実はこれまでの〔関心・意欲・態度〕という観点でも同様なはずだったのですが、実際にはノートやワークの提出状況でその観点の成績をつけていた人も一定数いたと思います。私も、初任校で働いていた数年間は周りの先輩の取り組みを真似してそうしていましたが、その後研修等でその観点が〔コミュニケーションへの関心・意欲・態度〕なのだと教えられてからは、一切提出物等をその観点に反映させなくなりました。
ここは非常に悩ましい部分で、中学校と一口にいっても、その教室環境は本当に多様です。私はありがたいことに、(それなりに苦労をしたことはもちろんありますが)英語の授業がある程度成立させることができていましたが、生徒や家庭、地域の状況によっては、生徒のコントロールに苦労している先生方も多くいらっしゃるのではないかと思います。
そんな中で、「提出物」や「授業態度」のようなものが、生徒指導上のギリギリのブレーキとして作用していたという学校もあるかも知れません。理想だけですべてを語れないところが、特に公立学校の悩ましいところです。
そこで提案するのは、ちょっとずるい考えにはなりますが、提出物などでの頑張りを別の観点で評価してあげる、という作戦です。具体的には〔主体的に学習に取り組む態度〕ではなく、〔知識・技能〕の観点で、「知識を得るための努力をした」評価として、提出物等の頑張りをプラスしてあげるのは、アリなのではないかと思っています。
私は実際、これまでの〔言語や文化についての知識・理解〕の観点に、努力点として本当に数点ですけど、そういった要素をプラスしていました。でもその数点のおかげで、通知表の評定が3から4になった生徒もいたと思いますし、頑張った子が報われる仕組みであったな、とは思っています。
だからといって、(プラスならまだしも)これを抜け道にして〔知識・技能〕からいろいろ減点されてしまう状況が広がってしまうのは、せっかくの新しい観点の理念も反映されなくなってしまうので避けたいところです。
ここでひとつ言えることは、仮にそのような点を加味するとしても、減点法みたいなネガティブな形ではなく、頑張った子を掬い上げてあげられるようなポジティブな見立てが生徒にも伝わるような形のほうが望ましいと思います。きっと生徒指導上も、ポジティブなサイクルが作れると思うんです。
でもそういったポジティブな見立てであれば、まさに〔主体的に学習に取り組む態度〕としても堂々と評価できちゃう気もしてきます。そのへんは次回もう少し掘り下げてみたいと思います。
半ば冗談ですが、「授業中に教師の言うことに従えない生徒は、英語を聞いて理解する能力がないということだから〔外国語理解の能力〕から減点するね。英語の授業は常にリスニングテストなんだ!」と授業びらきで話していたこともあります。その後、Stand up!と言うと、めっちゃ早く立ち上がる生徒ばかりで、とてもかわいかったです。
私は東京の公立中学校に勤務しております。先生もとても苦労(工夫)して生徒の頑張りを評価しておられたことに感銘しました。ただ提出物や授業態度を「主体的に学習に取り組む態度」に評価できないことが私にはなかなかしっくりと納得できないでいます。主体的とはいえないまでも知識技能を獲得してそれを英語のコミュニケーションに活用していこうと課題となる提出物における内容を学習しようとすると考えれば「主体的に学習に取り組む態度」に評価できるのではないかと思います。生徒にとっても保護者にとってもわかりやすいですし、説明して納得がいくと思います。思考力・判断力・表現力における言語活動の中で「主体的に学習に取り組む態度」を評価するとなるとこの2つの違いがどうしても難しいです。やはり公立中の現状を考えると現実的ではありません。悩めること多々です。いろいろと現場の視点でヒントをいただけてありがたいです。