こんにちは、anfieldroadです。
オリンピックが終わってから皮肉のように涼しい日が続いてましたが、また暑くなってきて、身体がついていくのが大変です。みなさまもどうぞご自愛くださいませ。
ということで、久しぶりのNewsletterです。(そろそろペース、戻せるかな?)
学習指導要領は「変わった」とも「変わってない」とも言いづらい
さて引き続き、先日の泉南市の研修会でお話したこと(したかったけど時間の関係でお話できなかったこと)について、ご紹介していきます。旧から新にかけての学習指導要領における評価の観点の内容構成がどう変化しているか、というお話です。下図は、前にお示ししたものとちょっと変更されています。(「見方・考え方」を追加しました)
ちなみにこの図は、私が勝手に解釈したものですので、文部科学省はこういう説明をしないかも知れません。「移動しただけ」とは、言いづらいんですよね。
というのも、学習指導要領って、新しいほうでは「変わった!」というアピールをしなければならないのに、一方で「これまでの学習指導要領には問題があった」とは言えない、という複雑な立場があるからです。
実際、『解説』や『評価資料』等を読んでいると、「従前の◯◯においても重視してきたものである」とか「従前の◯◯という考え方に基づいたものであり、この点を「□□」として改めて強調するものである」みたいな変更してるくせに「前から一貫している」と言い張る「官僚的答弁」が随所に見られて面白いです。
話すことにおける「適切さ」を再考する
さて、この図でわかるポイントは、「正確さ」と「適切さ」が切り離されて、それぞれ〔知識・技能〕と〔思考・判断・表現〕という観点に組み入れられていった、という点です。この「正確さ」と「適切さ」については、これまでも何度か触れてきました。
繰り返しになるかも知れませんが、理解や表現が「適切である」というときには、2つのレベルでその姿を観察することができると思います。「話すこと」を例に考えてみます。
1つめは、「何を話すべきかを決める」というコミュニケーションの最初の最初の段階です。例えば、話し相手の質問の「適切に答えているか」であったり、設定されたスピーチ大会で語る内容として「適切な話題であるか」みたいなことですね。これは、特に[やり取り]の場合は、そもそも相手の質問がちゃんと聞き取れているかという理解の段階でのコミュニケーションの成否も影響してきちゃうんですけど、表現レベルの話でいえば、最初の段階だと考えられます。
で、話す内容が頭の中で決まったら、それを英語で言えるように文を組み立てるのですが、ここで必要になるのは「正確さ」に関する知識やスキルです。
ただし、語彙や言い回しの選択に関しては、「適切さ」の範疇に入ると思います。相手によって、使う表現を変えることはよくありますよね。
そして、最後の段階は、「どう話すかを決める」というコミュニケーションの仕上げの段階です。例えば、声の大きさ、トーン、間のとり方、文の組み立てる順番など、相手や場面によって、伝えたいメッセージの内容によって、「話し方」は変わるので、このへんもまさに「適切さ」の役割の1つだと思います。
こんな風に、適切さって、発話の入口と出口の部分で機能するものだと思います。だから、そういう選択をする必要が生まれるような場面を、会話練習等の中に設定できればいいわけですね。そうなると、これまで以上に、語彙や表現について、様々なことを教えてあげたくなりますね。あるいは、助動詞の持っているニュアンスなんかも、教師がきちんと理解している必要が出てくるので、また改めて勉強しなくちゃなぁと感じます。
「教師のための英文法」というスタンスで学ぶのによい本があれば、共有していきたいですね。みなさんのオススメも教えて下さい。(ちなみに私は学生時代からMurphyのEnglish Grammar in Useを愛用してきたのですが、思えば古い第2版を使ってるので、最新版(第5版)を買ってみようかなと思います)
明日は以前ご紹介したジャパンライムのオンラインセミナーです。おかげさまで80名以上の方にお申し込み頂いているみたいで、身が引き締まります。私はともかく、他に登壇する先生方の具体的な実践が聞けますので、どうぞお楽しみに。