こんにちは、anfieldroadです。
2020年度も今日で終わり。明日からいよいよ2021年度のスタートです。環境が大きく変わる方もいらっしゃるかと思います。スタートはあまり無理せず、じっくりと「暖機運転」で行きましょう。(私の愛車は今年で23年目ですので、長めの暖機運転が欠かせません)
「適切さ」という形でこれまでも評価してきた
さて、いよいよ今改訂の一番の大物と(私が勝手に狙いを定める)〈思考・判断・表現〉の観点を取り上げます。毎度おなじみの国研の『「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料』から読み解きます。
まずは(英語科以外も含めた)概要からです。
キーワードは「課題を解決する等のために」という文言でしょうか。なんらかの目的のために、これまでに学習して身につけた知識と技能を「活用する」というのが、この観点のポイントです。
前にも書きましたが、英語科以外のいくつかの教科では前回の改訂時から「思考・判断」という文言が評価の観点に取り入れられていました。しかし、英語科では教科の特性を考え、「外国語表現の能力」「外国語理解の能力」という独自の観点を設定してきました。
今回の改訂は、全科目で統一した形での導入がなされているので、英語科もこの流れに乗っています。今まで馴染みがないぶん、わかりにくいという人も多いと思いますが、「適切さ」を評価すると考えると、実はこれまでにも取り扱っていた観点だということができます。
具体的には、これまででいうところの、
話されている内容から話し手の意向を理解することができる。(適切な聞き取り)
聞き手を意識して,強調したり繰り返し たりして話すことができる。(適切な発話)
意味内容にふさわしく音読することができる。(適切な音読)
内容的にまとまりのある文章を書くことができる。(適切な筆記)
といった評価規準がそれに当たります。これらの表記は、平成22年度に出された国立教育政策研究所『評価規準の作成のための参考資料』によります。
このように評価の枠組みはあったものの、私自身の実践を振り返ってみても、これまでの評価は「正確さ」に偏っていたように思います。
では「適切さ」とは何なのか?
根底にあるのは「適切さ」の定義が今ひとつわかりにくいということです。私も、じゃあ「適切さ」ってなんなんだ?ということを、結構前から考えていました。その思考の過程はブログでも何度か記事にしています。
ともに、2011 年の記事ですので、今の私の理解と異なるところもあるかも知れませんし、ましてや文部科学省の解釈とも異なるかも知れません。でも、この「適切さ」と今回の〈思考・判断・表現〉とで測りたいこととして重なるのは、
①コミュニケーションの最初の一歩となる相手やお題への正対
②コミュ二ケーションの仕上げとしてのやり取りを豊かにする個性や工夫
という異なる2つの段階であらわれる力なのだろうな、ということです。
と、書いてみたものの、まだまだわかりにくい感じもするので、次号では特に②を中心に具体例を挙げながら、〈思考・判断・表現〉がもたらす「工夫」について考えてみたいと思います。
今朝の朝刊に折り込まれていた埼玉県の教職員人事異動に、卒業したゼミ生の名前がいくつも並んでいて、ささやかながら自分が働いていた県に恩返しができたかな、と喜んでいます。ここをスタートに、今後も1年1年頑張っていこうと思います。