こんにちは、anfieldroadです。
2021年になったと思ったら、もう1月も後半。年々時間が経つのが早いなと感じるようになりました。一日一日を大事に過ごしたいです。
一番訴えたかったこと
ここまで3回にわたって、私が2017年に文科省に提出した新学習指導要領案(当時)に対するパブリック・コメントをご紹介しながら、新学習指導要領の改訂にあたり疑問や不安に感じていることを書いてきました。
当時は中学校教員でしたので、このコメントを書くことを通して、少しでも自分なりに未来の授業を思い描いていたのだと思います。その後、自分が中学校を離れるとは当時思いもしませんでしたし、コロナ禍のような非常事態ももちろん想定外ですが、当時抱えていた疑問や不安は、今現場に教員を送り出す側になった今も変わらずに胸のうちにあります。
3回分をお読みになったみなさんはお気づきだと思いますが、どのパブリック・コメントも最後の締めは同じような文で結んでいます。曰く、
ということです。
今回の改訂で、私が一番気になっていて、不安に感じていたことは、ここです。
日本全国でバラバラな英語教育が進行してしまうのも違うと思うし、だからといってどの学校でも紋切り型の授業をしている、というのも違和感があります。公教育は現場の教師によって支えられてますが、その教員の個性や情熱も授業を作り上げる大事なエッセンスのはずです。今の学習指導要領は、そこへのリスペクトが全然感じられないものに感じます。私が大学を卒業して職業を選ぶときに「教師は決められたやり方でやれ」と言われていたら、私は英語教師にならなかっただろうな、と思うんです。
学習指導要領の「初心」
そんなことを考えていたある日、ふとしたきっかけで、昭和22年(1947年)に当時の文部省が出した、学習指導要領(試案)を目にしました。そこには、とても興味深いことが書かれていました。
英語の教授と学習とを効果あらしめるためには,なんのために,何をどんな方法で,いつどんなところで教授し学習するというような問題が多い。この「学習指導要領」は,言語教授の理論と実際とにもとづいて,こうした問題を解く助けとなるように作られたものである。けれども,学校によっていろいろ事情が違うことであろうから,教師も生徒も,おのおのその個性を発揮して,この「学習指導要領」を十分に活用してもらいたい。
もちろん,この「学習指導要領」は完全なものではないから,実際の経験にもとづいた意見を,どしどし本省に送ってもらい,それによって,年々書き改めて行って,いゝものにしたいのである。(太字は筆者)
学習指導要領(英語編)試案(国立教育政策研究所データベース)
面白いのでお時間のある時にぜひ通して読んでいただきたいのですが、まるで大学の教科教育法のテキストのようで、読んでいてとても勉強になりましたし、伝わってくるメッセージがあります。文章も、なんか「人間が書いている感」があって、法律文書というかテンプレート化してしまった現代のものとは全然違いますね。
中には「学習指導法」という章があり、
最初の六週間は教科書を用いないで,生徒の耳と口を英語の発言や話し方になれさせるがよい。
など、ある意味具体的に教え方を提案はしていますが、前述の通り「教師も生徒も,おのおのその個性を発揮して」とのことなので、あくまで縛られるものではありません。でも、こうして示してくれてたら、初めて教壇に立つ若い先生にはバイブルになりそうですね。
また、
毎日一時間一週六時間が英語学習の理想的な時数であり,一週四時間以下では効果が極めて減る。
みたいなことも書いてくれていて、「専門家の声」をちゃんと文字化してくれていることに(当たり前のことのはずなのに)感動すら覚えます。
ということで、今回は学習指導要領の在り方が変質してきていることに不安を感じた改訂でなのです。この変化を現場がどのように受け止め、しなやかに対処していくのかが、とても大事だと感じています。
これまでの号でもご紹介していますが、最近登録いただいた方もいらっしゃるので定期的にご案内します。アーカイブにてこれまで発刊した過去のNewsletterをお読みいただけます。お時間がありましたら、ぜひ御覧ください。